Kozuのライフログ

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回転扉と包丁

今はイラクでの人質解放の話題で持ちきりだが、少し前は、回転扉や老朽化した遊具のニュースばかりだった。この2週間、全く投稿していなかったけど、その間に感じたことを今夜は書こうと思う。

回転扉での事故。老朽化した遊具での指切断。これらは本当に痛ましいことです。子供を持っている親として、自分の子供にもし起きていたら・・・と思うと背筋がぞっとします。

事故のニュースをしばらく目にしているとき、いったい何が問題だったのかとずーっと考えていた。子供が危険なめにあうという点で身近な例で対比してみたいと思う。他にもいろいろ身近な例もあるとは思うが、包丁を今回とりあげて、回転扉と対比してみる。

包丁はどういったところが危険だろうか?あなたなら何て答えるだろうか。ひとつの例を出してみると・・・。

扱い方を間違えると指が切れる。
というところが危険なんだと思う。だから、小さい子を持つ親は、わが子が包丁によって危険な目にあわないように、普通は手の届かないところに置く。実はこの事例のなかに、危険とそれに対する安全対策を施す基本的なステップが含まれている。つまり、

1.危険なめにあうものがあるか探し、特定する。(この場合、家の中にはおもちゃや食器等いろいろあるが、包丁というものが危険であることを特定している。)

2.特定したものによって、どのような事故に結びつくかを想定する。(包丁の刃の部分に、誤って触れると切れる。もし切れないのだったら、次のステップにはいかない。)

3.想定した事故に至らないよう、対策する。(手の届かないところに置くようにする。)

包丁の場合、構造が簡単で部品点数も少ないことから、包丁を見た誰もがどういった機能を果たし、どういったところに危険が潜んでいるかが一目瞭然だ。では、回転扉の場合はどうだろう。同じようなチェックをしようとするとどういったところに問題点が潜んでいるのだろうか。

「1.危険なめにあうものがあるかを探し、特定する。」のステップで・・・・。

問題点1:回転扉は誰しもが利用できる形になっている。(そこに利用制限はない)だから、歩き出したよちよち歩きの子供から大人まで様々な人が使うだろう。利用者は、果たしてその回転扉にどれだけの危険が潜んでいるのか、考えてみたことはあるだろうか。考えられるだろうか。

問題点2:誰しもが利用できるようになっているのならば、危険なめにあうようにはできていない(当然安全装置が作動するものだろう)と信じこんではいないだろうか。たとえばエレベータのセーフティエッジみたいに挟み込まれたら、再度開いてくれるようなそんな安全機構があるのだと思い込んではいないだろうか。

問題点3:回転扉に潜む危険を利用者のすべてが当然わかるだろうと、回転扉を提供する側が思ってはいないだろうか。包丁や階段みたいなものは、どこに危険が潜んでいるかが誰でも容易にわかる。だから、わざわざ安全装置をつけない。ところが、回転扉は部品点数も多く、構造も複雑だ。利用者はどこに危険が潜んでいるか容易には特定できない。(なんとなく挟まれると危ないなあといった感じはするだろうが、どの程度危ないか、その結果どうなるかといったところまでは容易にわからない)このようなものを公衆の場所に使うのなら、必要なところに安全装置をつけて適正に機能するよう維持管理するか、どれだけの危険があるかが容易にわかるよう周知する必要がある。(極端な周知の方法は、この回転扉は安全装置がついていません。挟まれても止まりません。注意して使ってくださいという周知だ。安全装置がついていないというのは現実的ではないが、周知もせず安全装置を適正に維持管理していないよりもよっぽどましである。危険を把握する上では十分なのだから、利用者は危険を回避することができる。)

他にもいろいろあるのかもしれないが、このような状況なので、次のステップである「2.特定したものによって、どのような事故に結びつくかを想定する。」ことができず、「3.想定した事故に至らないよう、対策する。」ことができなかったのだと思う。子供を最も安全に管理する方法(危険を回避する対策)は、「手をつないで離さない」ことではあるけれども、だからと言って、今回の件は「親が悪いんだ」ということにはならないし、「親が悪くない」のでもない。やはり、双方に問題があるのだと思う。もちろん、回転扉を提供する側にも問題がある。